2010年08月01日

「9月、『〜大日本山岳部新台湾遠征〜 あの日の戦友よ、もう一度 再会結実編』開催決定!」

いちいち絵になる人今を生きる夏の重大発表第三弾です!

今年1月に開催された、「〜大日本山岳部新台湾遠征〜 あの日の戦友よ、もう一度」の続編行軍である「〜大日本山岳部新台湾遠征〜 あの日の戦友よ、もう一度 再会結実編」の9月開催が正式決定いたしましたァ!

昨年2月に登場したおかももワタルのお父さん(80歳)こと、岡本秀世氏が66年前の第二次世界大戦下において、大宮の軍事工場で出会った台湾人の戦友を探すために、息子であるおかももワタルからの水面下熱烈打診によって敢行された新台湾遠征。

頼みの綱は断片的な情報とわずか数枚の写真。

明らかに手がかりは最小限であり、台北台南台湾中を奔走した我々大日本山岳部をもってしても欠片一片に値する情報も掴めずに「もはやこれまでか…」と心でつぶやきつつ最終日を迎えたのですが!

岡本秀世氏のフライトが刻々と迫る最後の最後で、正統なるフィクサーの血を引く大日本山岳部台湾大管区長官小佐野弾が本領発揮。なんと台湾4大新聞の一翼を担う新聞社「聯合報」の記者が取材に駆けつけ翌日岡本秀世氏台湾新聞紙上にデカデカ大掲載。

ちょちょさん日刊部数100万部を誇る「聯合報」に掲載されたことにより、新聞発売から6時間後の2010年2月1日、ついにその時が訪れます(@そのとき歴史が動いた)。

なんと、岡本秀世氏と66年前に出会っていた台北在住の劉さん(86歳)から新聞社に連絡が入ったのです!

これにより、”見つかる可能性は限りなくゼロに近い”と言われていた極めて難しい行軍を見事ミッションコンプリートの達成超級任務ゥ!

しかし、まだ岡本秀世氏と劉さんの再会には至っていないのです。

しかも二人の年齢は共に80歳以上…。

マズイ!早くしなければ間に合わなくなっちゃう!

だからこそ!
そう、だからこそ!

あの日の忘れ物を取りに行くために、そして本年のスローガンである「だって、今が大事ですから」を最大級の形で具現体現するために、大日本山岳部は岡本秀世氏と共に9月、もう一度渡台敢行ス!

9月開催の「〜大日本山岳部新台湾遠征〜 あの日の戦友よ、もう一度 再会結実編」をお楽しみに!

だって、今が大事ですから!

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達成超級任務「〜大日本山岳部新台湾遠征〜 あの日の戦友よ、もう一度 再会結実編」
日程:2010年秋開催予定
場所:アジア・台湾
時間:未定
公式テーマ曲:スーパーカー「Yumegiwa Last Boy」
総指揮官:台湾大管区長官 小佐野弾
参戦決定メンバー:おかももワタル、おかももワタルのお父さん(80歳)、安西直紀
使用予定武器:弩級横断幕「前進あるのみ」、横断幕「だって、今が大事ですから」、パスポート、ダンのヒスイ、廣方圓茗茶のパイナップルケーキ

※戦友と再会します。
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・「聯合報」公式サイトはコチラ
・「〜大日本山岳部新台湾遠征〜 あの日の戦友よ、もう一度」完全版はコチラ
・おかももワタル&おかももワタルのお父さんも参戦の「〜東アジア遠征〜 万里の長城を駆け抜けろ」完全版はコチラ
  

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2010年07月07日

「ダンのヒスイ、ゲットだぜ!」

おかもも親子の1000分の1先の海外遠征「〜新台湾遠征〜 あの日の戦友よ、もう一度」にて!

おかももワタルの父である岡本秀世氏の66年前の戦友を見つけると言う無茶無理無謀な作戦を、台湾大手新聞にスクープで取り上げられると言う形で見事に突破した我々大日本山岳部。

その絶対不可能と言われた行軍において、またしても重要な役割を果たした台湾大管区長官小佐野弾より「総帥、これは俺のお気に入りのヒスイです。これを総帥に差し上げますよ」と言いつつ、高級そうなトートバッグについた円形のヒスイを下さるじゃありませんか!

タカラプロ野球カードは無数に持つ私ですが、宝石は所持皆無!

私は、いい友を持った。

そして台北に拠点を置く小佐野弾より先日再度の連絡が!

「〜大日本山岳部新台湾遠征〜 あの日の戦友よ、もう一度 再会結実編」を開催しなければ、この夏は終われない(1月の遠征の最終日に戦友である劉さんの発見はできたが、対面はまだ実現していない)!

3度目の台湾遠征開催を画策いたします!  
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2010年02月12日

「帰ってきたバズワード松尾、台湾遠征祝勝会開催決定!」

一口目のトマトでやられました今週末2月14日には!

セイントバテレンタインデーに無意味に合わせるが如く、台湾大管区長官小佐野弾を筆頭とした此度の新台湾特戦隊、そして、おかももワタルのお父さん(80歳)こと岡本秀世氏、さらには行軍を日本より見守っていたフリークスも集結して「〜新台湾遠征祝勝会〜 あの日のチョークスリーパーよ、もう一度」を開催いたします!

今回の祝勝会では、なぜか日本でブラウザに張り付いて大感動&大粒の涙を流して大号泣であった、皆既日食遠征でブレイク果たしたチャラチャラ大管区長官バズワード松尾が、三重の山奥からチュロス片手に飛び出て総指揮官に名乗りを上げて祝勝旗をブンブン振るいます!

そんな祝勝会会場は渋谷の老舗台湾料理店「麗郷」で決まりじゃあ!

辻堂軍団も愛する「麗郷」の中でも、最も良い席である2階最奥の大テーブルを祝勝会会場として直電ネゴシエイトによって確保いたしました!

2月14日は渋谷でチョコと腸詰だ(ドウシテーッ)!

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とびしゃりんパーマ「〜新台湾遠征祝勝会〜 あの日のチョークスリーパーよ、もう一度」
日程:2010年2月14日(日)
場所:渋谷・麗郷
時間:19時〜22時
総指揮官:チャラチャラ大管区長官バズワード松尾
参戦決定メンバー:小佐野弾、安西直紀、スワタイチ(鄭失敗)、山室メガネ、下村の姐御、田中シュウスケ、モロトフ青木、田園調布のお嬢サン、チョークスリーパー金田、グレートチャイニーズ趙、スーパーフリーな和田さん、おかももワタルのお父さん(80歳)
使用予定武器:腸詰、シジミ、連合報2010年2月1日号、閣下のマッカラン18年、廣方園のパイナップルケーキ

※8400枚の遠征写真と、630分の映像厳選集を公開いたします。
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2010年02月09日

「翻訳版!岡本父ニュース」

うおー!

かの有名な某巨大掲示板2ちゃんねるにて、一連の岡本父の戦友探しニュース

http://www.udn.com/2010/2/1/NEWS/NATIONAL/NAT5/5399393.shtml

http://udn.com/NEWS/NATIONAL/NAT5/5399361.shtml

の翻訳バージョンが掲載されていました!

それではどうぞ!

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http://yutori7.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1265032270/

【日台】「66年前、勤労動員で会った台湾の兄貴分たちに会いたい」80歳の岡本さんが台湾で人探し[02/01]

1 :´◇`)<誤訳あったらごめん。@シャイニング記者。φ ★:2010/02/01(月) 22:51:10 ID:???

80歳の日本人男性、66年前の兄貴分を探す
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「死ぬ前に、せめて一目会いたい」
今年80歳になる日本人男性の岡本さん(*1)は、66年前に仲間であった台湾の友人を探すため、
子供と共に台湾を訪問中だ。
残念なことに手がかりはごく僅かで、一週間にわたって各地を奔走したけれども
何も得られていない。岡本さんは31日、台湾を離れる前に本紙記者を訪ね、
メディアを通じ、生きている間に自分の口から友人たちに「ありがとう」と
言えるようになることを期待した。

1944年春、台湾南部の師範専科学校(*2)の学生たちが埼玉県にあった
「中島飛行機」(富士重工の前身)の大宮工場に実習に来た。
当時13歳だった岡本もこの工場で手伝っていた。これら約18〜20歳の台湾の学生たちは、
日本語も非常に流暢で、日本についてもよく知っていた。
岡本はすぐに彼らと仲間になった。

「彼らはまるで私の大きな兄のようでした」と岡本は語る。
当時は物資も非常に少なく、台湾の若者たちはしょっちゅう岡本に食べ物を
分け与えていたという。硬いパンも軍の食事も山海の珍味のようだったという。
「今でもあの心が温かくなる感覚を覚えています」
空腹が我慢できなくなった時には、陳さんという兄貴分が岡本さんと一緒に日本の軍歌を歌い、
歌って、歌って、歌っているうちに空腹ではなくなったという。

岡本は、彼らが非常に頭のいい人たちだったと話す。わざわざ日本まで来て
エンジンの技術を学んだ。「毎日彼らを見つけては遊んでいました」
ある時、彼らが実験室に籠もって研究していると、岡本は窓の外からこっそり
中を窺った。彼らの真剣に勉強している顔を目の当たりにして、
「それ以来、彼らのような人間になりたいと思いました」という。

1945年8月6日、アメリカは広島に原子爆弾を投下し、日本中が震撼した。
岡本は泣きながら走って台湾の兄貴分たちを探した。彼らは岡本をこう慰めたという。
「負けてしまっても、お前の素質ならこれから事を成せるさ。頑張れ!」
それから数日も経たずに、台湾の青年たちは米軍のトラックに乗せられ去っていった。
お別れに先立ちみんなで抱き合って泣き、いつかまた会おうと約束をした。

まるで映画「海角七号」の友情版のようだが、この人探しは難易度がより高い。
岡本が当時まだたいへん小さかったこともあり、彼らの名前を覚えていない。
わずかにわかっているのは、日本の軍歌を上手に歌えた陳さんが嘉義に住み、
日本の往年のスター、三船敏郎のようだった劉さんが台北に住み、
とても仲の良かった孫さんは、日本の国民栄誉賞を獲った長谷川一夫に似ていたという。

さりとてこれだけ年月が重なり、彼らももうじき90歳になろうという頃だ。
岡本も再会のチャンスが微々たるものであることはわかっている。
しかし、心の奥底に沈んでいた思いが湧きあがって来た時、
やはり自ら台湾に渡って会いたいと思ったのだった。
13歳当時の自分の写真を持ち、岡本はメディアの報道を通じて、
66年前に途切れた縁が再びつながることを願っている。
(02/01 14:56)


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2010年02月07日

「”奇跡” 海角七号友情版」 by 小佐野弾

小佐野さんの守護霊はクラゲですこのたび、大日本山岳部の皆さんが台湾に来られて、一緒に李登輝総統に面会させて頂いたわけだが、実は今回の大日本山岳部台湾訪問の最大の目的は、メンバー岡本渉さんのお父さんである岡本秀世さん(80)の「戦友探し」であった。無論、岡本秀世さんご本人も、今回の台湾訪問に参加された。


昭和19年から中島飛行機(現富士重工)に動員され、大宮工場で働いていた岡本さんは、そこで日本統治下の台湾から来た学生たちと出会う。彼らは皆、台湾の高等師範学校に在籍する、極めて優秀な台湾人学生たちだった。

食糧不足で岡本少年が飢えている中、彼らは岡本少年に貴重な食べ物の数々を分けてくれた。ある日、飢えのあまり、息も絶え絶えになっていた岡本少年に対して、陳さんという台湾人学生が、「大丈夫!歌えば空腹なんか忘れられるよ! さぁ一緒に歌おう!」と言って、軍歌である「歩兵の歌」と「愛国行進曲」を歌って慰めてくれた。

そんな彼らはとても真面目で、いつもいつも一生懸命に勉強していた。そんな彼らの姿勢を見て、岡本少年は「僕も彼らのようにならなくてはならない」と強く思ったそうである。

また、当時18歳〜20歳の台湾人学生たちは、13歳の岡本少年を弟のように可愛がり、いつも一緒に遊んでくれた。岡本少年もまた、彼らを心から慕い、いつもいつも彼らの後を付いて行っていたのであった。


しかし、ついに昭和20年8月15日、玉音放送が流れ、大東亜戦争は終結した。

中島飛行機の大宮工場や周辺では、朝鮮半島から動員されていた朝鮮の人々が、「俺達は勝った!!!」と騒ぎ立て、岡本少年は彼らからの激しい罵倒と暴行を受けた。そんな朝鮮人の人々の豹変ぶりにショックを受け、心を痛めていた岡本少年に、台湾人の学生たちは言った。

「僕たちはどうやら台湾に帰らなくてはならないらしい。僕たちは今、とても悲しい。日本人として育ち、日本人として戦った僕たちの心は、やっばり日本人だよ。だから悲しいし、悔しい。僕たちは台湾に帰るけれど、僕たちはいつまでも日本が大好きだよ」

そして彼らは、涙を流しながら岡本少年と抱き合って別れを惜しんだのであった。


その日から65年。岡本さんはずっと、台湾人の「兄貴分」たちの優しさと温かさを、決して忘れることはなかった。そしてついに、台湾の土を踏んだのであった。彼らと、再会して「ありがとう」の一言を伝えるために。


このエピソードに心を打たれた僕は、さっそく友人・知人の新聞記者や雑誌記者たちに連絡を取り、協力を仰いだ。

そして昨日、帰国直前の岡本さんに対する取材が実現したのだ。

まず、この機会を実現させてくれた、僕の大親友である「聯合報」芸能部記者のジェシーと、政治部記者の王光慈さんに心から感謝申し上げたい。

「聯合報」は、台湾二位の大手新聞社であるが、国民党系のいわゆる「藍色陣営」を代表する新聞社であり、通常はこうした日本統治時代を肯定したり、大東亜戦争を美化するような記事を扱うことはほとんどない。

しかし今回彼女たちは、社の方針に背き、この国を超えた友情物語を見事に正確に記事にしてくれたのだ。

今朝の朝刊に掲載された記事は、ほぼ一ページを独占する大きな記事で、65年前の写真を持つ岡本さんの写真とともに、長々と上記のエピソードがつづられた。

記事のタイトルは「海角七号友情版…: 80歳の日本人のお爺さんが、66年前の兄貴たちを探す」というものだった。

しかし、台湾に数多いる旧帝国軍人の人々の中から、岡本さんの兄貴たちを探すのは難しいに決まっている。僕たちは、本当に「ダメ元」で取材をお願いしたのだった。



しかし。「奇跡」は起きた。


今日の朝刊が店頭に並んでから6時間。僕の元に、王記者から連絡が来た。

「小佐野さん! すごいわよ! 探していた戦友のうちの一人、三船敏郎似の、台北の劉さん(86歳)と思われる人から連絡が来たの!!!」


僕は、びっくりしてワナワナと震えてしまった。

そして、その劉さんに対して、明日王記者が再び取材に行くことになった。

劉さんは、台北の名門中学校で、長年化学と数学の教師をしていたらしい。そして今は、台北市内でひっそりと暮らしておられる。

もし、この方が本当に岡本さんの兄貴分である劉さんだったら。再び岡本さんに台湾へいらして頂き、再会が実現したならば。


僕にとって、これほどの喜びはない。


たしかに戦争とは、実に悲しいものである。戦争を知らぬ世代の我々には、想像することすらできない、過酷で悲惨なものこそが戦争であろう。

しかし、「戦争」を否定するあまりに、「戦争」の中でこそ起こりえた、こうしたひとつの人間同士の物語を埋もれさせてしまうのは、決してあってはならないことであろう。


大日本山岳部台湾大管区長官という、何やら仰々しい謎の肩書を頂いている僕は、今回はじめて、その肩書に相応する働きの一端を成し得たのではないか、と自負している。

by 小佐野弾
  
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2010年02月06日

「終生忘れ得ぬ日」 by 小佐野弾

小佐野さんの守護霊はクラゲです1月27日、ついに中華民國元総統・李登輝閣下にお会いした。

まず、この面会を実現させて下さり、且つ私に質問と発言の機会を与えて下さった大日本山岳部総帥安西直紀氏に心から感謝申し上げたい。

そして、不勉強な私に発言することを許して下さった、大日本山岳部メンバーの皆さんにも、心からの御礼を申し上げたい。

約6年間に及ぶ、私の台湾生活の中で、確実に一つのクライマックスと言うべき事件こそ、今般の李登輝総統に賜ったご引見の機会であった。共和制国家の国家元首にお会いするのはもちろん初めての経験であり、とりわけ私の第二の故郷である台湾中華民国の国家元首を長年に渡って務められた李登輝総統にお会いするというのは、私の人生にとっての大事件である。

以前、とあるパーティーで天皇皇后両陛下に拝謁する機会を賜った折は、まったく話すことができなかった。また、ホノルルにいたころは、当時のベンジャミン・カエタノ州知事に度々お会いする機会を頂いたが、やはり挨拶程度の会話が関の山であった。

しかし、今般の李登輝閣下との面会においては、私は閣下と直接「対話」する、という機会を与えられたのである。


淡水にある李登輝総統のオフィスにてお会いしたのだが、まず李登輝総統から大変貴重な講義を賜った。総統の目の前に座らせて頂いた小生は、李登輝総統の語られる台湾の歴史、「台湾経験」についての認識、台湾の近代化における日本統治時代の位置づけなどに関する大変興味深いお話を、まるで個人授業のような感覚で拝聴させて頂いた。

面会において、私が総統閣下に質問させて頂いた内容は、以下のようなものだ。

「台湾在住以前より、閣下のご著作などを拝読し、閣下の思想にふれて参りました。閣下は、マルクス主義や西田哲学、内村鑑三のキリスト教信仰、新渡戸の武士道、倉田百三の『出家とその弟子』など、一見対立するような数々の思想を摂取して来られたようにお見受けします。また、政治家としての閣下も、国民党主席の後、台湾団結連盟の精神的支柱となり、正名運動などを推進されて来られました。私は経済学の研究をしているため、閣下の京都大学時代の恩師である柏祐賢先生の『経済秩序個性論』からも強い影響を受けましたが、柏先生もまた、スミスとリストという全く相反する経済思想の統合を目指しておられました。閣下がマルクス主義の影響を受けつつも、博士論文においては近代経済学を応用した研究をされ、政治家としても国民党主席から国民党を批判する立場に転じられたのは、一見するとバラバラのようだが、やはりなんらかの筋が通っている。こうした行動や思想の変遷における閣下の"核"となっているお考えとは、どのようなものなのかをお教え頂けませんか」

私がこのような質問をさせて頂いたのは、以前も記した通り、右翼のアイドルではない、純粋な李登輝の姿に接したかったからだ。

そして、私はついに「経済学者李登輝」の姿に接することができた。


それまでとは打って変わって、中華民国総統としての表情は消え、私の質問の瞬間に、「農業経済学者李登輝」の姿に変わったのである。

この質問に対する閣下のお答えは約30分に渡る長大なもので、とても一度の記事に書きつくせるものではない。

ただ、閣下が、超優秀な経済学者であることだけは断言できる。

閣下がマルクス経済学に影響を受けたのは、その「資本」の概念が極めて正確であった点であった。

そして閣下がマルクス経済学を棄却した原因は、農業部門における余剰労働力すなわちSurplus labourの問題を、マルクス経済学では解消することができないことに気付いたためであった。

そこで、閣下はアイオワ州立大学時代に徹底的に統計学と計量経済学を学ばれ、実証主義研究へと傾倒していく。

そして、コーネル大学に提出した博士論文は、徹底した実証研究に基づいた、50年間にわたる台湾の農業経済史に関するものとなった。

この行を話される時、閣下は計量経済学の理論に対する深い造詣を披歴され、計量経済学が苦手な私は、本当に圧倒されてしまった。


そして、李登輝総統の行動の「核」とはすなわち、徹底した実証主義であることが自ずと明らかになった。閣下は総統時代、とにかく徹底してデータを見た。経済学者である閣下には、ありとあらゆるデータや官僚からの提案が、政策手段として有効に作用するか否かが「すぐにわかる」。そこで、その政策が右であろうが左であろうが藍であろうが緑であろうが、実証主義的観点から有効であると判断した場合は、とことん推し進めた。

つまり、李登輝という人物は、政治家である以前に、完全な「学者」であり「研究者」であったのである。

「学者」としての姿勢は、総統就任後も貫かれ、かつて人々から「老獪」と言われた行動や、「矛盾」と言われた政策もすべて、完璧な実証主義から導かれたものだったのだ。


一切のフィルターが除去された、「経済学者李登輝」の姿に接することができた私は、その感動に本当に「打ち震えた」のである。

そして、この会見は、「東アジアの奇跡」と呼ばれた台湾の経済発展史について、まさしくその「奇跡」を作り上げた張本人が語る、という二度とないであろう凄まじく貴重な機会にもなったのである。

無論、李登輝閣下が極めて魅力的な人物であり、一国の国家元首を務めた人間のオーラがハンパなかったのは言うまでもない。



李登輝総統との面会を終え、我々は新北投温泉にて、台湾の皆さんと懇親会を行った。



この場において私は、金門島名産「高粱酒」の連続攻撃を受け、完膚なきまでに打倒された。

私の精神の中に存在する理性もまた完膚なきまでに撃滅せられ、私は近年稀にみる大泥酔状態へと突入し、喚き、暴れ、絡み続けた挙句、尊敬する山岳部の仲間たちにあり得ないような暴言の数々を吐き続け、とある男子の会員には強制的な接吻を迫り、最終的には吐瀉物に塗れた状態で、友人金田君を中心とした方々に介抱され、タクシーに乗せて頂いたそうである。そのタクシーの中をも吐瀉物で汚染し、金田君に1000元以上のクリーニング代とタクシー代を負担させた挙句、靴も指輪もなくした状態で、家で倒れていたのであった。

私はこれらの地獄のような所業にかんする一切の記憶を失っており、本日メンバーの皆さんにお目に懸ったおりに、写真等でそれらの所業の一部始終が暴露せられ、その衝撃と自らに対する怒り、そして皆さまに対するあまりもの申し訳なささのため、皆さまに深く土下座をさせて頂いた次第である。

小佐野弾の昨日の所業は、まさしく万死に値するものであり、又吉イエスでなくとも「腹を切って死ぬべきである」と言われて然るべきものであった。


李登輝総統のご引見を賜るというこの誉高き善き日の最後に、あのような状態を作り出してしまったことを、深く深く恥じ、大日本山岳部メンバーの皆さまには、衷心より深く深くお詫び申し上げる次第である。

小生には腹を切る勇気もないが、今の私は、本当に腹を切ってお詫び申し上げたい心持である。

人生最高の瞬間と最低の瞬間が、一日のうちに訪れるという、本当に終生忘れえぬ日であった。

by 小佐野弾
  
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2010年02月05日

「白色恐怖/李登輝元総統への質問」 by 小佐野弾

小佐野さんの守護霊はクラゲですバクト、フィクサー、エネルギー「白色恐怖」とは、「白色テロ」、すなわち蒋介石国民党独裁政権時の台湾において展開された、言論封殺と台湾の本省人知識人に対する大粛清劇である。

特に、228事件が有名だ。


今月で、馬英九総統率いる国民党政権が誕生して1年。失策続きで、支持率が異常に下がっている馬政権だが、馬政権になって変わったこともある。

中国人観光客が増えたことと、盗聴が増えたこと、そしてアクセスできないウェブサイトが増えたことである。


最近、讀賣新聞や産経新聞など、民進党寄りの日本のメディアの台北支局が、盛んに盗聴されている旨が報じられたが、国民党は再び白色テロでもやろうっつーのかね。

そういえば、中華電信の「hi-net」で接続している我が家のインターネットも、急にアクセスできないサイトが増えたような気がする。

蒋経国、李登輝の時代を通じて民主化が実現し、中華圏で初めての選挙による政権交代までも成し遂げた偉大な民主国家台湾だが、再び国民党独裁時代の言論統制に戻るのだろうか。

俺は、1月27日に、かつて「民主先生」(Mr. Democracy)と呼ばれ、世界中の尊敬を集めた中華民国元総統李登輝閣下にお会いすることになっている。李登輝氏を衷心より尊敬してやまない俺は、李登輝氏の成し遂げた台湾の民主主義の後退だけは看過できん。

俺はかつて、国民党支持のとある友人と話していた折に、こんなことを言った。彼がしきりに李登輝批判を口にしていた中、「たしかに李登輝は既に古いのかもしれない。君が批判したい気持ちも尊重できる。ただ、我々がこうして、台北市内のど真ん中で、堂々と国民党を批判し、政府を批判し、天下国家について喧々諤々と語り合うことができるようになったのは、誰のお陰だろうか? それは紛れもなく李登輝の功績だ」と。彼は深くうなずき、納得してくれたことを思い出す。あれは、俺が台湾に来て、一か月と経っていなかった頃だ。

李登輝元総統には、聞きたいことがたくさんある。

経済学者としての李登輝に、政治家としての李登輝に、敬虔なクリスチャンとしての李登輝に、そして一人の元日本人としての李登輝に、聞きたいことがありすぎて困る。


とりわけ、李登輝元総統の京都大学時代の恩師であった柏祐賢博士の主著『経済秩序個性論』から、経済思想上かなり強い影響を受けた俺としては、李登輝元総統から見た柏博士の経済思想、とりわけ「スミスとリストの融合」という問題(ドイツにおけるアダム・スミス問題)についてのお考えを伺いたいし、経験なクリスチャンとしての李登輝元総統に対しては、内村鑑三から受けた影響についても聴きたい。

そして、李登輝元総統が愛読書として挙げたことのある倉田百三の『出家とその弟子』は、僕の愛読書でもあるのだが、クリスチャンである李登輝元総統が、『出家とその弟子』を読むことで、キリスト教の花(百合)と、仏教の華(蓮)の融合をどのように解釈したのかについても伺いたい。『出家とその弟子』は、親鸞を主人公としながら、まさしくキリスト教的な戯曲として成立しているのだから。

そして、時事的な問題としては、かつて李登輝元総統が「新台湾人」と呼んだ馬英九の政権のこれからと、李登輝元総統を精神的支柱と据えて成立した「台湾団結連盟」のこれからの動向について。


李登輝元総統には、14人でお会いするので、これらを全てお聞きすることはできない。なので、返事は期待しないながらも、お手紙をお渡し申し上げたいと考えている。

李登輝元総統は、日本のネトウヨや、小林よしのり『台湾論』だけを読んで台湾の全てを分った気になってしまったような、バランス感覚を欠いた頭の悪い右翼のアイドルになってしまっている。また、「李登輝元総統にお会いした」という台湾在住日本人もたくさんいるが、それらの人は皆概して、「アホな右翼」である。

李登輝氏が、中華民国総統・国家元首としての立場からした過去の言動や、きわめて冷静であり鳥瞰的な視点から述べた情勢分析などを全て自分たちの都合がいいように解釈し、「中立的な李登輝像」を見ようともしない馬鹿な右翼が多すぎる。

なるほど李登輝元総統にお会いするのは、実に貴重な機会である。しかし僕は、その機会が貴重であるからこそ、馬鹿な右翼のフィルターを通した金色に輝く李登輝ではなく、冷静な社会科学者としての、客家出身の老獪な政治家としての、純粋な信仰者としての李登輝の姿に接したいのだ。


欲を言えば、ゴルフが大好きで、特に俺の行きつけ「北投国華ゴルフクラブ」の常連としての李登輝元総統と、ゴルフ談議をしたりするのも夢ではあるが…。


それにしても、こんなに早く李登輝元総統にお会いすることができるのなら、台湾語を勉強しておけばよかった。俺は李登輝元総統が嫌う北京語しか話すことができない。無論、李登輝元総統は日本人よりも堪能な日本語をお話になるのでコミュニケーション上の問題はないのだが、一人の台湾を愛する在留邦人として、李登輝元総統との会話の第一声は、台湾語で話したかった…。

ただ、李登輝元総統も、子供たちと話す時や、中華民国総統の地位にあった時は、強い台湾訛りの流暢(?)な北京語で話しておられたのだが。

兎にも角にも、今回の会見は、僕の台湾生活の一つのハイライトでもある。悔いのない会見にしたい。

by 小佐野弾
  
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2010年02月04日

「岡本父、涙す」

あの戦争岡本秀世さん(80歳)の続報が入りました!

岡本さんの戦友であると名乗る台湾人、劉さん(86歳)が現れたことを岡本さんに電話で告げたところ、「え、本当に!本当に。ああ…嬉しいですね。たしか、当時の劉さんは三船敏郎に似ていて格好良かったんですよ。今も生きてらっしゃると思うと、それだけで…色々な思いがこみ上げてきて…なんだか涙があふれてきますね…。ああ、懐かしいな、懐かしいな、と。ただ、それだけですね」。

台湾大管区長官小佐野弾いわく、劉さんにお会いする続報の記事も「連合報」に掲載される予定とのこと。

我々としても是非とも、岡本さんと劉さんの再会を実現させたいものです。

だって、今が大事ですから!

※明日より3日間連続で、今大会総指揮官を務めた台湾大管区長官小佐野弾の遠征回顧録を掲載いたします。  
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2010年02月03日

「安西直紀も、台湾新聞掲載サル!」

日本的作家なんです日本的作家なんです(太字バージョン)「海角七號友情版」として、すでに台湾全土でもネット上でも話題となっている此度の大日本山岳部が挑んだプロジェクト「〜大日本山岳部新台湾遠征〜 あの日の戦友よ、もう一度」でありますが!

岡本秀世氏と共に、安西直紀及び大日本山岳部も台湾大手新聞社「連合報」に登場いたしましたァ!

この新聞内で安西直紀は「日本作家」の肩書きで登場。

しかも大日本山岳部は「不達目的不罷休(目的達成なくんば休みなし)」のスローガンを掲げる団体であり、これまでも「達成超級任務」を成し遂げてきたとのこと!

そんな大日本山岳部が岡本秀世氏の「人生最後的願望」を叶えるために総力を挙げて望んだのが此度の遠征だったのであります!

「連合報」のウェブサイトでも登場しておりますのでご覧アーレ!

http://udn.com/NEWS/NATIONAL/NAT5/5399361.shtml

だって、今が大事ですから!  
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2010年02月02日

「岡本父、台湾新聞掲載サル!」

ちょちょさん劇的なるミッションコンプリートを遂げた「〜大日本山岳部新台湾遠征〜 あの日の戦友よ、もう一度」の岡本秀世氏の記事が台湾の新聞「連合報」インターネット版にも掲載されています。

http://www.udn.com/2010/2/1/NEWS/NATIONAL/NAT5/5399393.shtml

皆さま、ぜひご一読を!

敬礼!
  
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2010年02月01日

「速報、岡本父戦友見つかる」

72a091f5.jpg大日本山岳部より速報発表です。

本日午後12時30分(現地時間午前11時30
分)ごろ、台湾にて、岡本秀世さん(80歳)の戦友であ
ると名乗る台湾人、劉さんが現れました。

これは台湾大管区長官小佐野弾の紹介により新聞記者と知り合い、今回の
出来事が台湾の大手新聞社「連合報」に記事として本日取り上げられたこ
とによって実現したものです。

本日19時ごろ、我々大日本山岳部本隊は日本に帰国しましたが、今
回の出来事はすでに台湾でも注目を浴びており、続報の記事が掲載される
ことも決定しております。

そのため、岡本秀世さん(80歳)と共に再び台湾を訪れて、劉
さんとの再会をする計画がすでに浮上中です。

総勢50名に及ぶ登場人物が台湾を舞台に渦巻いた今回の行軍も突破
完遂です。

「〜大日本山岳部新台湾遠征〜 あの日の戦友よ、もう一度」ミッ
ションコンプリートのご報告です!

敬礼!
  
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2010年01月27日

「日本人安宿山田屋に、訊け!」

アジアン会議頼むよベイビー前回遠征「リアルニイタカヤマノボレ」に続いて、今回も一部の参戦メンバーが使用する宿である「山田屋」のご主人である山田玄さんにもおかももワタルのお父さん(80歳)の戦友探しにご協力いただくことに!

御親戚や宿泊者に戦争時代の研究をする学者さんが多くいる山田さんは「うん、うん。そういうことならさ、台湾の学校や政府機関を訪ねるのもいいけれど、日本にある高座会と言う日台交流機関を訪ねてみるのがいいよ。あと、中島飛行機でエンジンを作っていたならば、中島飛行機は今は富士重工になっているから、富士重工の編纂室を訪ねて当時の名簿を見てみるのもいいんじゃないかな!」

楽しいね同様に本日お会いしたスーさんと言う女性にも激励拝聴することに!

これは長期戦になるかもしれませんが、とことんやるっきゃないっしょ!

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Yumegiwa last boy「〜大日本山岳部新台湾遠征〜 あの日の戦友よ、もう一度」
日程:2010年1月25日(月)〜2月1日(月)
場所:アジア・台湾
時間:25日9時40分〜2月1日18時
公式テーマ曲:スーパーカー「Yumegiwa Last Boy」
総指揮官:台湾大管区長官 小佐野弾
参戦決定メンバー:安西直紀、スワタイチ、山室メガネ、バガボンド立石、下村の姐御、林純、田中シュウスケ、モロトフ青木、田園調布のお嬢サン、祇園のきんちゃん、ハイチ兄、おかももワタル、おかもものお父さん(80歳)
使用予定武器:弩級横断幕「前進あるのみ」、「だって、今が大事ですから」の書き初め、パスポート、帝国主義化の台湾、フィクサーの服、パイナップルケーキ

※戦友を探します。
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「おかもも父、フィクサーの末裔小佐野弾に対面ス!」

kutugaeshimasyouムネオ対決小学校の卒業文集の将来の夢に「フィクサー」と書いたとか書かないとか…。

まことしやかな素晴らしい噂がある、”フィクサーの末裔”にして今大会総指揮官でもある、台湾大管区長官小佐野弾と、おかももワタルのお父さん(80歳)が台北にて遭遇いたしました!

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Yumegiwa last boy「〜大日本山岳部新台湾遠征〜 あの日の戦友よ、もう一度」
日程:2010年1月25日(月)〜2月1日(月)
場所:アジア・台湾
時間:25日9時40分〜2月1日18時
公式テーマ曲:スーパーカー「Yumegiwa Last Boy」
総指揮官:台湾大管区長官 小佐野弾
参戦決定メンバー:安西直紀、スワタイチ、山室メガネ、バガボンド立石、下村の姐御、林純、田中シュウスケ、モロトフ青木、田園調布のお嬢サン、祇園のきんちゃん、ハイチ兄、おかももワタル、おかもものお父さん(80歳)
使用予定武器:弩級横断幕「前進あるのみ」、「だって、今が大事ですから」の書き初め、パスポート、帝国主義化の台湾、フィクサーの服、パイナップルケーキ

※戦友を探します。
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「のってけ変態外人、アンドリュー・サボール登場!」

ボーイミーツアホボーイミーツポカーンヒコーキに乗って台北に向かおうとしていたら…スワタイチが隣の席のガイジンとスタートから話し始めた!

ガイジンの名前はアンドリュー。アメリカ人です。

はじめは「これがマイファミリーの写真さ」などとマトモな会話をしていたアンドリューでありますが、なぜだか会話がエロチック方面の話題を占め始めて、途中からは「これがマイコレクションさ」と話し始めて女性の写真(あとマニアック映像)を飛行機の中でスワタイチに見せ始めるじゃありませんか!

こいつはまさにアメリカのサボール里見ナリ!

彼は、台湾経由でフィリピンに行くそうですが、普段は日本にいるそうなので、今年4月3日(土)に開催予定の「サクラサミット2010 〜ハイパーボーダレスの祭典〜」に参戦打診するとあっさりOK。

最後にスワタイチより、日刊スポーツのアダルト面を満面の笑みのアンドリュー・サボールに手渡すことになりました。

変態外人アンドリュー・サボール、サクラサミット2010参戦です!  
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「皆さま、どうぞご協力をお願いします」 by 岡本秀世

80歳65年以上も前の事で記憶もおぼろげではありますが…当時の記憶を元に綴ってみました。


昭和19年(1944年)頃、私が13歳の時、世界、そして日本は、
第二次世界大戦(大東亜戦争)まっただ中でありました。

東京の浅草生まれ浅草育ちで会った私も、
戦争激化により集団疎開を余儀なくされました。

私は埼玉県川口市に移り住み、浦和の学校に転向いたしました。

その年の秋か冬。

13歳学徒動員(勤労動員)で私は中島飛行機の大宮工場にて、
働くこととなったのですが、この場所で台湾の方々と知り合うこととなったのです。

工場では「誉」、「栄」といったゼロ戦のエンジンの製造を手伝い、
海軍監督官室作業計画係で伝令書類設計図配達及び文書整理、保管、
その他雑用を行いました。

その工場にやって来ていた台湾からの学生隊、
たしか南部の中学5年か、旧制高校生(師範学校)選抜の
14〜15人と教師(25歳くらい)の人達で、
年齢は私よりも5,6歳は年上でしたので、おそらく当時17か18歳くらい。

今ですと、85,86歳になっているのではないでしょうか。

名前はリューさん、ゴさん、ソウさん、カクさん…と言ったかと記憶しています。

帝京商業時代私は名前が秀世(ひでよ)ですので台湾の方からは
ヒデちゃんや、シュウちゃんと呼ばれていました。

なにしろ、お互いあだ名で呼び合っていたもので、フルネームは残念ながらわかりません。

彼らは日本語も流暢でしたので、
と昼休みに交遊するのが当時の私の一番の楽しみでした。


昭和20年(1945年)8月10日頃、私はエンジン部品の配達中に左腕を負傷したため、
終戦の8月15日は、自宅で休養していました。

その2〜3日後、工場に復帰した時、それまで仲良くしてくださった台湾の皆さんから、
「僕らは台湾に帰るらしいけれど、日本が大好き。私たちも心は日本人だよ」と言ってくれました。感極まった私は、台湾の皆さんと一緒に抱き合ってワンワン泣きました。

当時、街では一部の日本統治下の人々が、おれたちは戦勝国民だ、戦争に勝ったのだとワメキちらし、威張りくさっていました。

しかし、台湾の人達は全くに変わらずに優しく、穏やかに接してくれました。

その気持ちを私は今でも忘れられません。台湾の人々に感謝!感謝!なのです。

だからこそ、できることならばあの日の”戦友”にもう一度会いたい。
そう切に願います。

私は1月25日(月)より1月31日(日)の行程で、
安西さん一行と共に台湾にまいります。

どうか、皆様のお力を貸して下さりませ。

よろしくお願い申し上げます。

岡本秀世(おかももワタルの父)


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Yumegiwa last boy「〜大日本山岳部新台湾遠征〜 あの日の戦友よ、もう一度」
日程:2010年1月25日(月)〜2月1日(月)
場所:アジア・台湾
時間:25日9時40分〜2月1日18時
公式テーマ曲:スーパーカー「Yumegiwa Last Boy」
総指揮官:台湾大管区長官 小佐野弾
参戦決定メンバー:安西直紀、スワタイチ、山室メガネ、バガボンド立石、下村の姐御、林純、田中シュウスケ、モロトフ青木、田園調布のお嬢サン、祇園のきんちゃん、ハイチ兄、おかももワタル、おかもものお父さん(80歳)
使用予定武器:弩級横断幕「前進あるのみ」、「だって、今が大事ですから」の書き初め、パスポート、帝国主義化の台湾、フィクサーの服、パイナップルケーキ

※戦友を探します。
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Posted by sangakubu at 00:30Comments(1)TrackBack(0)

2010年01月25日

「『〜大日本山岳部新台湾遠征〜 あの日の戦友よ、もう一度』開催決定!」

Yumegiwa last boy我々、大日本山岳部本隊は台北に着陣!

ここで今回の遠征タイトル及び行軍詳細について発表いたします!

今回の行軍タイトルはズバリ「〜大日本山岳部新台湾遠征〜 あの日の戦友よ、もう一度」であります!

2009年、大日本山岳部は日本縦断ハイパーボーダレスエリート構想を掲げて、長野、群馬、京都、広島、福岡などなど…いくつもの拠点を設ける事に成功しましたが、2010年、大日本山岳部はそ海の向こうに視線を上げて、韓国、北朝鮮、台湾、そして中国といったアジアに興味を持って目を向けようと考えています。

その観点において、台湾(中華民国)という親日エリアの存在は必要不可欠!実際、2008年の台湾遠征「リアルニイタカヤマノボレ」では台湾人に何度も助けられました。台湾を知ることは、すなわち一つのアジアの歴史を知ることとなるのです。

では今行軍メインタイトルに名付けられた「あの日の戦友よ、もう一度」とは一体何なのか?

そこには、今回の参戦メンバーである、おかももワタルのお父さん(80歳)が大きくかかわっているのです!

今から65年前。

世界を真っ二つに割って争われた”あの戦争”、第二次世界大戦において、当時13歳であったおかももワタルのお父さんこと岡本秀世さん(80歳)も、多くの少年少女と同様に戦争の渦に飲み込まれていました。

戦争末期の1944年(昭和19年)、地元東京から埼玉県浦和に疎開された岡本秀世さん(13歳)は、学徒出陣に伴う勤労奉仕のため大宮の軍事工場で戦闘機のエンジンを作る仕事に従事していたのですが、その際に台湾からやってきた台湾人の学生達と親交を結びます。

当然、米軍の爆撃対象となる明日をも知れぬ軍事工場に毎日通う秀世少年は、年齢の近い台湾人と一緒に話ができるお昼休みが唯一の楽しみだったのです。

そして、1945年(昭和20年)。

原爆とソ連侵攻によって息の根が止まった日本は無条件降伏。終戦が訪れ、数日もしないうちに秀世少年と台湾人にも別れの時が来ます。

その時、台湾の人々は秀世少年に向けて、「僕らは台湾に帰るけれど、日本が大好き。私たちも心は日本人だよ」と言ったのです。感極まった秀世少年と台湾の友は一緒に抱き合ってワンワン泣いて、別れを遂げました。

あの日から、65年。

終戦を経て、復学して、就職をして、結婚して、息子が生まれ、高度成長期を生きて、退職を果たした、秀世少年ことおかももワタルのお父さん(80歳)が息子のワタルに対して、ポロっとつぶやいた!

「死ぬ前に、もう一度だけ、あの台湾の戦友に逢いたい」。

この言葉に息子ワタルの火がついた!即座にワタルは、安西直紀並びにハイパーボーダレスエリート集団大日本山岳部に、お父さんの戦友探しを依頼打診。

その瞬間、時空を超えて人々の連鎖を超えて!
今回の新台湾遠征を発動することが決定したのです!

だからこそ!

今回の行軍タイトルは「〜大日本山岳部新台湾遠征〜 あの日の戦友よ、もう一度」なのでありますァ(チュドーン)!

はっきり言って、当時の戦友が見つかるかどうかは分かりません。

情報は極めて断片的であり、見つかる可能性は限りなくゼロに近いともいえるでしょう。

しかし可能性がゼロに近いということは、可能性がゼロではないということである!

ならば!

我々が突撃して取り組まねばならないだろう!

いやむしろ!

こんな打診、大日本山岳部がやらねば誰がやるというのだ!

戦争を経た激動の人生で一瞬だけ交差して、また離れていた人生の糸が、再びめぐりあうかもしれないこの瞬間を創造セヨ!

「〜大日本山岳部新台湾遠征〜 あの日の戦友よ、もう一度」を開催いたします!

だって、今が大事ですから!

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Yumegiwa last boy「〜大日本山岳部新台湾遠征〜 あの日の戦友よ、もう一度」
日程:2010年1月25日(月)〜2月1日(月)
場所:アジア・台湾
時間:25日9時40分〜2月1日18時
公式テーマ曲:スーパーカー「Yumegiwa Last Boy」
総指揮官:台湾大管区長官 小佐野弾
参戦決定メンバー:安西直紀、スワタイチ、山室メガネ、バガボンド立石、下村の姐御、林純、田中シュウスケ、モロトフ青木、田園調布のお嬢サン、祇園のきんちゃん、ハイチ兄、おかももワタル、おかもものお父さん(80歳)
使用予定武器:弩級横断幕「前進あるのみ」、「だって、今が大事ですから」の書き初め、パスポート、帝国主義化の台湾、フィクサーの服、パイナップルケーキ

※戦友を探します。
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Posted by sangakubu at 22:39Comments(1)TrackBack(0)

「台湾へ」

c314d844.jpg本日より!

数ヶ月間の長きに渡る水面下交渉を経て、安西直紀はフィクサー小佐野弾
の待つアジアの地に向かいます!

その目的地は…台湾ナリ!

さらに参戦決定メンバーの主役は、昨年登場したおかももワタルのお父さ
ん(79歳、今年で80歳)!

大日本山岳部10周年記念行軍の遠征地でもあった台湾に、おかもも
ワタルのお父さん(80歳)と共に再び降り立つその理由
(ワケ)とは?

水面下交渉と大海原の先に待ち受けるとは?

遠大かつドラマチックな遠征詳細と行軍タイトル、さらにものの見事にハ
イパーボーダレスエリートが集結したメンバー発表は次号にて!

まずは9時40分発台北行きの飛行機に飛び乗れ!
  
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